勝海舟邸跡2



JR赤坂駅より徒歩10分程度。
赤坂6丁目のソフトタウン赤坂が建つ交差点に碑があります。
当時、勝邸は氷川神社と隣接していました。






勝海舟が安政6年(1859年)より明治元年(1868年)の10月まで居住していました。
この地に移り住んだ翌年、軍艦操縦所教授方頭取となり、日本艦船で初の太平洋横断、往復に成功しています。
文久2年(1862年)には、刺客としてここに現れた土佐藩士坂本龍馬らに、
世界情勢を唱え決意を変えさせ、門下生として育てました。
また、明治元年(1868年)には、幕府陸軍総裁として、西郷隆盛との談判を重ね、
江戸城を無血開城し、官軍の総攻撃から江戸の町を救いました。
彼の人生において、最も華々しい時代をこの地で暮していたのです。

慶応4年(1868年)4月4日に、流山で捕らえられた新選組局長近藤勇の助命嘆願を求め、
土方歳三が現れたのも、この地ではないか、と言われています。
(2008年4月6日UP)

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